大太刀の流派と扱い方

徒戦での合戦が主流になってくると、接近戦でもリーチのある大大刀が非常に重宝されていました。三尺を超えるものも多く、戦国時代に入るまでは主要な武器として多くの人に使われていたそうです。戦国期からは槍に収斂されていきますが、それでもなお、大太刀を愛用していたという武者や武将が多くいたそうです。特に有名な人物には、上杉謙信がいます。謙信の馬の周囲を、身の丈六尺以上の武者が大太刀を肩にして静々と進んだという記述もあるそうです。他にも、越前朝倉家にも、刃渡り四、五尺の大太刀を使う力士勢という軍団がいたそうです。姉川の合戦では、織田信長を苦戦させたそうです。大太刀の操法に関しては、現在においても古流剣術の中に伝承されています。動きからは、当時の戦いの様子を伺うことができます。勇壮な大太刀の技法を伝えている流派に、薬丸自顕流というものがあります。この剣術は幕末の必殺剣として恐れられていましたが、これは戦国時代の大太刀の術から編み出されたものとされています。この流派では太刀を構えるときに、長い柄を右手前腕に添わせ、時には左手でも柄と右手前腕を握り込むことで重い大太刀を支えていました。下半身のバネを使うことで、全身を使って斬り込んでいきます。この打撃は非常に強いもので、新撰組の局長近藤勇も「薩摩の初太刀は外せ」、つまり防御をしても頭ごと割られてしまうので、そもそも刀を受けるなと命じていたと言われています。大太刀は、場合によっては刀身に布を巻いて握った方が扱いやすかったこともあるそうです。他にも刀身の中ほどを紐で巻き締めた野太刀が使われていたりと、大きい刀であった分、実際の使われ方には工夫があったようです。

コメントをどうぞ

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です