日本刀の刀剣づくりそして刀工銘

日本刀の優秀さは鍛錬によるものだと言われておりますが、日本刀は折り返し鍛錬によって不純物を叩き出し、純良な鉄の刀になるのだという内容でした。

刀を作るとき、ある刀匠は、まず下鍛えとして、それぞれ玉鋼を十二回、卸鉄を八回、包丁鉄を六回、次いで上鍛えと称して下鍛えの三種類の鉄を適宜に混ぜて、八回から十回折返し鍛錬して度鋼をつくる。さらに、心鉄と刃鉄をそれぞれ調合して十数回折り返す。そしてできた三種類の刃鉄、皮鉄、心鉄を組み合わせて、ようやく一腰とする。

また別の刀工が二十代のときに作った刀は、師匠から与えられた鉄を二十七回折り返し鍛錬したそうです。柔らかくなったのは脱炭したからで、堅くなったのは浸炭したからだそうです。

水戸光園に招聴されたとされている江戸前期の刀工、大村加卜は、百鍛、百二十鍛などと『剣刀秘法』に書いていたようです。しかし、加卜の刀剣には「真十五甲伏鍛之」と茎に銘がある作が残っています。江戸末期の水心子正秀は『剣工秘伝志』の中で、「折り返し鍛錬数は鉄に応じるべきで、五十遍鍛えた鉄は刃色が白く潤いのある刀ができたことがある」。しかし「鋼も炭も多く費えてきしたる益もなし故、能き鉄を選んで凡そ十四、五遍より二十遍鍛える」のが良いとも言っていたようです。

古代中国に、塊錬法によって製錬された塊錬鉄という鉄があります。鉄鉱石を木炭によって低温度(摂氏千度)で固体状態還元したものだそうですが、炭素含有量が〇・四パーセントくらいのふっくらとした鉄で、それを鍛錬して熟鉄(錬鉄)を造ったとのことです。中国では一度折り返して鍛錬すると二錬、二度折返しすると四練と数えるのだとのことでした。また、硬軟の鉄を重ねて一度折り返しすると、四錬と数えるのだそうです。

日本刀鍛錬用として現代用いている箱鞴は、構造は極めてシンプルですが、大変な優れものです。木製の大きな箱の中に板状ピストンを前後に動かして、小さな孔から風を噴出させます。孔には弁が付き、ピストンを押しても引いても風を送ることができます。その風を蓄える風袋である小さな箱には、炉に通じる羽口(送風口)が取り付けられています。この風袋が付くことにより、箱輸は瞬時も間断なく風を送ることが可能になります。ですから、急激に炉の温度を上げることができるのです。

長方形の箱鞴の上蓋を聞けると、木製ピストンの周囲には空気が漏れないためとすべりをよくするために、狸の毛皮が張られています。箱の素材は杉の柾目板、その側面は立鼓のように、内側に反りがあります。ピストンを動かすと、その側面板はお腹を膨らませるように外反りに膨らみ、風に圧力を加えるため、風が強くなるのです。底には現代はガラスが置かれています。何十年使い続けても、ピストンを通す丸い孔の大きさが変わらないのは、ピストンを動かす手がぶれないからです。ピストンを動かすこと一つにも年季が要るわけです。強弱自在の風を間断なく送ることのできる精巧な機械、それが木製の箱鞴です。もう一つ、風を間断なく送ることができる秘密は、風袋が鞴の箱と小さな弁で連結していることです。

箱鞴は中国宋の時代のころの発明といわれており、中国の産業技術についてを幅広く記述した書物には、鉄の精錬する炉に送る鞴が箱鞴で、二人でピストンを操作している絵が載っているようです。

また、この箱輸はピストンを動かすために、板が平面でなければならず、それには台鉋の発明されていることが前提になります。日本での台鉋は、室町時代であったと考えられています。