日本刀における鉄との縁について

奈良時代、山上憶良は「しろがね(銀)もくがね(黄金)も玉も:::」と、金銀を財宝の象徴として謡っており、このころは、銅は赤金(あかがね)、鉄は黒金(くろがね)と呼ばれていたそうです。

鉄製品で、道具として常に手に触れているところは、黒錆でとろとろとした美しい色になります。これは四三酸化鉄で、鉄の表面を覆い、内部の酸化を防いでくれます。一方、第二酸化鉄は赤色をしていて赤色粉末(ベンガラ)になり、顔料として用います。赤色も黒色もそれぞれ鉄の顔でした。

「鉄は熱いうちに打て」とはよく聞く諺ですが、炉で熱せられた鉄塊は、鉄床の上で金槌によって見る見るうちに形が変わっていきます。

鉄は冷えてしまえば堅くなるというように、一般に鉄は堅いというイメージを持たれているのではないでしょうか。

しかし、日本刀の鉄は堅くはありません。日本刀の表面は紙でも絹でも庇が付きます。小さな抗でも気になるほど、繊細に研ぎあげているからでもありますが、一度付いた抗は砥石を当てて研がなければ消えません。

鉄が柔らかいとは、どういうことなのでしょう。治金学的に言えば、鉄と炭素とが化合して鋼となりますが、その炭素含有量が約〇・七パーセント以上であれば堅くなりますし、それより少なければ柔らかめになります。ある刀工の刃先の一部は、炭素含有量が〇・四パーセントで、また、平安時代のものとされる小刀は、約〇・四パーセントやそれ以下の箇所もあったとされています。

炭素含有量が〇・二パーセント以下なら、包丁鉄と呼ばれる大変柔らかい鉄で、これでは焼きが入らず刃物にはなりません。一・二パーセント以上ですと銑と呼ばれ、さらに二~三パーセントになりますと鋳鉄になり、釜や鍋などの鋳物が作れます。

刀の堅いか柔らかいかは、〇・七パーセントから〇・四パーセントぐらいのわずかな差といえるようです。