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日本刀の年紀銘が二月と八月の理由

現代の日本刀を作る人は、何月に作っても「二月日」「八月日」と製作年月日を記しているようです。そして、日本刀の茎には、前年の十月や十一月に焼入れしようとも、当たり前のこととして「二月日」と切り込んでいるようです。

まず、江戸時代末期の源清麿十八歳の初めての作刀には「四月日」、その他「十二月日」、「十月十三日」などとありますが、清麿のほとんどの作に「二月日」「八月日」と記されています。江戸中期の長曽祢虎徹はといいますと、「十二月日」「九月日」などがわずかにありますが、そのほとんどが「二月吉祥日」「八月吉祥日」です。

遡って桃山時代の刀工埋忠明寿の作には、やはり二月八月銘が多いのですが、「所持埋忠彦次郎重代」には「慶長十三年三月日」、神社などへの奉納刀には「三月廿四日」と記されています。

以上の作例から見ますと、特別の記念すべき月日にはその年月日を記しているようですが、一般の刀には二月と八月を記したものと考えられます。

さて、戦国の世と言われた室町時代の刀にはどのような年月日が記されたのでしょう。備前刀を見ますと、戦国時代後期は、所持者銘のある特別の作を除いて、ほとんどが「二月」と「八月」。さらに「二月」の記載は「八月」の約半数であり、八月の方が多いようです。

それ以前の嘉吉元年(一四四一)ころには、二月と八月の差が少なくなるようです。さらに応永の時代に遡ると、二月・八月とほぼ同数に他の月日が記されるようになるようです。

南北朝時代や鎌倉時代には、二月八月に関係なく各月の年紀が記されているようです。そのため、室町時代中期以降に、「二月」「八月」が主に記されるようになったとされたのではないかと推測されます。